百合ハーレムファンタジー小説 二日目
Mesmerizer
1-2
三人の中で最も早く立ち直ったのは、シンクだった。
慌てふためくフォティと、直立しながらも不安げに視線を彷徨わせているパルを尻目に、彼女は一歩前に踏み出した。
先輩として、可愛い後輩たちを動揺させてままにはしておけなかった。
「お任せください、必ずや秩序を守り抜きましょう。ですが……お聞かせ願いたいことがございます」
「いいだろう」
フェイスは厳かに言い放つ。
罪人の前でこのようなことを話していいものかと、シンクは魔女といわれた女を一瞥する。しかし、まったくその存在を気に掛けていないフェイスの振る舞いを見て、彼女は疑問を脇へ追いやった。
「なぜ、我々三人なのでしょうか。恥ずかしながら我らよりも優秀な執行官は多くいるはずです。そもそも……恐るべき力を持った傾世の魔女をたった三人で護送など……」
特務執行官。法務院の指令を遂行する隠密。法務院のあらゆる支援を受けられる高い権限、そして法務官からの命令に縛られず独断で行動できる自由が与えられた精鋭の集まり。
任命されることは、名誉なことではある。しかし、あまりにも不可解なことが多すぎた。
「ふむ、理由ならあるぞ。答えられる範囲で教えてやろう。なぜなら――」
* * *
「いい加減外していいかしら、これ」
三人がタチアナの声を聞いたのは、旧街道の半ばで小休止を取っている時だった。
封面をしている人間は普通、声など出せない。しかし、フォティはさほど驚かず、ああやっぱり、という気持ちでいた。
執務室で目があったように感じた瞬間から、おそらく拘束は意味をなさないことには気づいていた。とんでもない魔女なのだから、それぐらいのことはできるのだろう。
「封面をつけていて本当に口がきけるのね、この人」
「やはり無意味だったか……」
三人の注目の中でさらにタチアナは拘束服から腕を解放する。紙でも破るように造作もなく内側から引き裂いた。無論、あり得ない行為だ。これまでの執行官としての常識や慣例が何も役に立たないことを痛感する。
服の前面が裂けた格好と引き換えにして、両腕を自由にしたタチアナは封面にも手をかけた。魔力で接着されたソレは、力ずくでどうにかできるものではない。
普通ならば。
「このお面、随分と息苦しい作りなのね」
湿った地面に封面が落とされる。
フォティは、目が離せなくなった。
「私にも食べ物、いただけるかしら」
と言って、手を伸ばしてきたタチアナにフォティは反射的に背嚢から携帯食料を取り出し、投げ渡した。
お腹は膨れ、栄養やらなんやらにも気を使っているという法務院謹製のアイテムだ。
味に関しては同僚の間でも議論されているが。
感謝の笑みを浮かべるタチアナはまさしく魔性を放っていた。
見れば見るほど美しい人だとフォティは思った。
この鬱蒼とした旧街道の樹海の中にいる彼女は、森の妖精とでも例えたくなるような神秘性を放っている。
法務院を出発して半日になるが、素顔を見るのはこれが初めてだった。
倒木に腰掛けているタチアナは、世界を傾けるには充分だと納得できた。
タチアナは携帯食料を齧っているだけだというのに、フォティにはそれがどうにも気になって仕方なかった。動作の一つ一つがなんともいえず優雅に感じられる。
惹きつけられているのだろうか。フォティはぼんやりと自省する。いやいや、そんなはずはない。
タチアナの魔性は、男に対してのみその圧倒的な力を発揮するのだから。
――「一つ目の理由、それは諸君が女性だからだ」
フェイスの言葉をフォティは思い出す。
「フォティ。タチアナの最も得意とした魔法……あるいは体質を知っているかな?」
「ええっと、ものすごい誘惑魔法です。……大丈夫かな、あってますよね? パル」
この状況で答え合わせをせがむ友人にパルは溜息をついた。
毎度のことながらよく執行官の試験に合格したものだとパルは思う。フォティの場合、戦闘技能が飛びぬけて高かったそうだが、限度というものがある。
万書に通じると讃えられるパルとって、フォティのようないい加減さは理解できなかった。
「隷雄妃(エスファハーン)……認識阻害と心理操作による男性の絶対服従。世界の半分を支配すると恐れられた能力です。彼女はこの能力によって世界各地の権力者を操り、間接的に圧政や虐殺を行ったと言われています」
完璧な補足にフェイスは微笑んだ。
「よろしい。流石だな、パティエンス。そう、タチアナは男性を思うがままに操ることが可能だ。それは、法務院が総力を結集して彼女の力を抑制しても封じ込めることはできなかった。だから、裁判も女性だけだったわけだ……」
「だから、今日召集されたのもみんな女ってことですか」
「そうだ」――
まぁ、顔が良くなきゃ誘惑もできないか。
勝手に納得して、フォティは無遠慮にタチアナの観察を続けた。
視線に気づいた彼女は、フォティに顔を向ける。
なるほど向き合ってみるとますます美しいものだとフォティは感心した。
「あら、どうしたの? 可愛らしい執行官さん」
「んーん、綺麗なお姉さんだなぁと思いまして」
推定年齢は200歳を超えるとも噂されるタチアナだったが、フォティには自分より少し上の歳程度にしか見えなかった。
「うふふ……ここ20年ほどは潜伏していたから、人間にはなじみがないかもしれないわね。おいくつなの」
「今年で19――」
「ちょっと待ちなさい!」
呑気な会話にパルが割って入る。護送中の大罪人と世間話など、彼女にとってありえないことだった。
「なぁにお喋りしてんのよ! 相手は世界を滅茶苦茶にした魔女なのよ、あんたが思ってるような相手じゃないの!」
「あら、怖い」
「『たとえ罪人であっても最低限の待遇はするべき』ですよ。会話はその範疇に入ると思います」
「こ、こんな時だけ執行官の規則を持ち出して……シンク姉様もなんとか言ってください!」
話を振られたシンクは、食べかけの携帯食料を水筒で胃に流し込んだ。
自分を慕うパルの訴えを、シンクはよく考える。考えるべきことはあまりにも多いが、それを精査する時間さえ自分達には与えられていなかった。
「確かに重罪人と話すことなど通常はあり得ないが……今回はあまりにも特殊な事例が多すぎるからな」
フェイスの命令をシンクは思い出す。
護送は徒歩で行え、と大法務官は言ってのけた。大陸南部にある法務院から世界の最北端にある『終末地』までの距離は、相当なものだ。
魔力の乱れや終末地付近に生息する竜種のお陰で軍用の飛行艇や移動魔法ですら到達は困難だというのに、まして、歩きともなれば――
「タチアナの魔力は、法務院のあらゆる叡智をもってしても封じ込められん。今の拘束だって飾りのようなものだ。移動魔法や飛行艇はタチアナに干渉されて乗っ取られる可能性がある。だとすれば地道に彼女を監視しつつ陸路を行くしかあるまい?」
理不尽。それ以外には何も感想が無い。多分、パルとフォティもあの瞬間に同じことを考えただろう。それでも執行官として、やるしかない。
だから、シンク達は十数年間放置された旧街道を進んでいた。街道といっても、ほとんど獣道に近い。既に何度となく魔獣とも交戦している。
さしあたっての目的地は法務院から最も近い都市『アドリナ』、本来なら新街道を通る機甲馬車に揺られて30分ほどで到着できる位置にある。
しかし、アドリナと法務院の間にある森林部を縦断した旧街道を使うのでは話が違う。地図上の距離は短くても移動手段は徒歩に限られる。おまけに、旧街道が放棄された理由は魔獣が頻繁に出没するからだ。戦いながら進まざるを得ない。
出発直後から、一行の前途には大きな困難が立ち塞がっていた。
「特務執行官は自らの判断で行動できる。よってタチアナとの接触も各執行官の考えに一任する……というのが、模範解答だろうな」
「し、しかしですよ姉様」
「分かっているさ……だが、この旅がこれから何か月続くか何が起こるか予想もできん。場合によってはタチアナと協力せざるを得ない事態も――」
シンクが話している途中で、出し抜けに地面が揺れた。腹の底に響く、重い足音が旧街道の森に響く。
パルは咄嗟にタチアナの座っている倒木を見た。
元は相当な巨木だが、根元から折れていて、まだ倒されてから日が経っていない。
つまりは、なにか巨大な生物がへし折ったということだ。
めしゃり、と力づくで何かが折られる音が聞こえた。それは、やがて執行官たちに近づいてくる。
「おおう」
「まぁ!」
フォティは女性らしからぬ言葉遣いで嘆息し、タチアナは楽しげに声を漏らした。
森から姿を現したものは、全身が苔で覆われていた。
体長がフォティの5倍ほどもある巨大な地竜種――モスリザードである。