百合ハーレムファンタジー小説 三日目
Mesmerizer
1-3
苔竜は自らの獲物を見つめていた。
森を踏みしめる堂々とした苔竜の四肢は大人が抱えきれないほどの太さを誇っていた。
苔に覆われた長く扁平な頭部を走る口からは獲物を磨り削る牙の絨毯が覗いていた。
それは紛れもなく、強大無比な旧街道の森の主だった。
「こりゃあ、おっかないですね!」
「ここまでの大きさに成長するのは百年単位のはずよ。休眠期には共生した苔の光合成で過ごすけれど、活動期になると何でも口に入れる暴れん坊よ、見逃してはくれなさそうね」
「話し合いは好きじゃないタイプですか、気が合うじゃないですか」
執行官は自らの障害を見つめていた。
フォティはズボンの両ポケットから拳鍔(ナックルダスター)を取り出した。執行官になる前から愛用している相棒だ。
銀鋼(ミスリル)製のソレは、持ち主の魔力と鉄拳を余すところなく相手に伝達する。鎧ごとブチ抜くのが、フォティの信条だった。
景気づけに拳を打ちあわせると、鐘ような高らかな音色が響き渡った。
パルも背中のホルスターから銃を抜いた。女性が扱うにはいささか武骨な形をしているが、パルにとっては何よりも頼れる武器だった。火薬によって銃弾を打ち出すものではない、ソレは砲身に埋め込まれた魔力触媒を利用することで彼女の魔法を増幅して打ち出す機構を備えている。いわば、変形した魔法の杖だ。
パルが意識を集中させると、銃の照星が薄紫に輝く。狙撃の準備は、整っていた。
この世界のあらゆる存在は己の体内の魔力によって無意識に身を守る障壁を作り出している。ゆえに生物を傷つけようとするなら、まずはその障壁を破ることが必要となる。苔竜もまた、硬い鱗と魔法障壁で身を鎧(よろ)っていた。
そうした魔法障壁に対してフォティの出した解答は「ブン殴ってブチ砕く」というもので、パルの解答は「一点突破で撃ち抜く」というものだった。
「シンク姉様、タチアナをお願いします。ここはあたし達が――」
「道を拓きます!」
「任せるぞ、二人とも」
苔竜に向かっていく二人を見守りつつ、シンクはタチアナを自らの傍に引き寄せた。
「あら……助けてあげなくていいの? 折角の刀が泣いているんじゃない?」
自分から目を離そうとしないシンクにタチアナは艶然と微笑みかけた。その言葉を受けて、彼女は帯刀している腰に手をやった。この大陸の外で作られたソレは、シンクの出身地を物語っている。道中でもシンクは自らの得物を抜くことなく、もっぱらタチアナの監視にあたっていた。
「執行官を侮ってもらっては困る。あの程度、私が出るまでもないさ。それに――」
シンクはタチアナの右腕を掴んだ。そのまま引っ張って、無理やり向き合う格好となる。タチアナは驚きもせず、笑みを崩さない。
「――色々と調べたいこともある」
「あーら、何を調べるつもり?」
「私達の今後にも影響することさ……」
シンクが短くぼそぼそとした詠唱を行うと、彼女の目が薄く輝いた。魔力検知――魔術の使用された痕跡などを察知する魔法だ。犯罪者を追跡することが多い執行官にとっては、初歩的な魔法である。
「うふ、魔女の内側(ナカ)を見るのは始めてかしら?」
「品のない冗談は好かないね……」
シンクの視界に移るものは、タチアナから発せられる轟然たる魔力の奔流。法務院によって抑制されていても、情人を遥かに凌駕する威圧感を彼女は肌で受け止めた。知ろうとしていることは、その激しい流れの中に隠されている。
「うおぉりゃああぁあああぁ!」
シンクがタチアナを検めようとしている一方で、フォティは苔竜と組みあっていた。自らを噛み潰さんとする苔竜の両顎を掴み、押し戻す。
苔竜のさほど複雑ではない意識に浮かんだ感情は困惑だった。これまで、こんな小さな生き物が自分の顎を力づくで動かせないようにしているなんて経験は初めてだった。いつものように口を閉じようとしても、びくともしない。苔竜にできるのは、唸り声をあげることだけだった。
「フォティ、そろそろ打ち込むわよ!」
「了解でっす!」
目の前の友人と苔竜の咆哮にかき消されないよう、パルも声を張り上げた。
両手で構えた銃は許容量ぎりぎりまで収束させた魔力で紫色に輝いている。
力自慢が相手の動きを止めて、狙撃手が一発で仕留める。それがパルとフォティの立てた方針だった。
「撃つわ! ヤツを跳ねあげて!」
魔力を不自然に押し留めているせいで、銃は手のひらで暴れ出しそうだった。パルは必死に銃を保持して、フォティに指示を飛ばす。
狙うのは、鱗で守られていない苔竜の腹。
腹を剥き出しにするには、計り知れない重量の苔竜をどうにか持ち上げる必要があったが、パルは心配していなかった。フォティの力なら必ずやり遂げてくれると信じていたから。
「任せてくださいッ!」
気合の雄叫びと共に、フォティは苔竜の顎に膝を打ちこんだ。
砲弾を受けたような衝撃に苔竜の力が緩む。
「空でも見てなァ!」
その隙を見逃さず、彼女は苔竜から手を放し、渾身のアッパーカットを振り抜いた。それは文字通り、苔竜の顎に炸裂する。フォティの拳に込められた魔力が衝撃波を放ったのだ。
巨重の体が、浮き上がり、数十年地面だけに向けられてた腹部がパルの銃口に晒される。
「完璧よ、フォティ……」
パルは、銃爪を絞った。
銃の何倍もある光弾が苔竜の無防備な腹へと直撃し、そのエネルギーを解き放つ。体の内側が燃やされる感覚に苔竜は咆え、そしてゆっくりと地面へと倒れた。
「よぉーし! わたしとパルの勝ちです!」
「また、口調が荒れてたわよ」
「むぅ、熱くなりすぎるといけませんね」
脅威が去ったことを確認してパルとフォティは得物を収めた。
二人の元に「調査」を終えたシンクが歩み寄ってくる。
「流石だな」
「うふふシンク姉様、これぐらいは当然です」
「いかつい戦い方するのね、フォティちゃんって」
「……ちゃん付けですか、まぁいいですけど」
こちらも色々と分かったことがあるが、さて。
戦いを終えた二人にシンクはあることを伝えようかどうか逡巡していた。
タチアナは様々な情報を彼女に与えてくれていた。執行官三人にとっては不都合なことさえも。
「さぁ行くぞ、もうすぐ旧街道を抜けるはずだ」
シンクはもうしばらくの間だけ黙っておくことに決めた。恐らく「このこと」を大法務官は知っている。その真意を確かめてからでも遅くはないだろう。
空は既に赤く染まっていて、法務院直轄都市『アドリナ』まではもう間もなくだった。