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【百合ブログ】百合Edge R&D 

人間無骨のブログ。百合のレビューをする。 Twitter:@ZephyrMusician

花物語-百合に男はなぜいない?

なぜ百合に男が出てこないのか?

男性がモブでしか登場しない作品はよくある。

中には登場した男性キャラの大半が惨死している作品すら存在している。

 

こうした男性キャラが少ない作品というのは百合と親和性が高く、より百合CPが作られやすい。いわゆるほのぼの日常系のアニメなんかは、いい例だろう。

 

男性キャラが少なければ必然的に女性キャラばかりになるわけで、結果として百合妄想はしやすい。

だから百合厨の中には百合に男キャラはいらないぜ! ってスタンスの人もいる。

百合男子の言葉を引用すれば、

我思う、

ゆえに百合あり。

だが

そこに、必要なし。

ってわけだ。

 

一方でこれにたいして批判の目を向ける人もいることに関して考えてみよう。

女の子ばかり出てくるのは不自然だし、それは結局女の子の可愛さを消費しているだけだ、という言説がよくある。

そんな連中の大半は政治的な正しさや正義感を笠に着て、人を合法的に殴り倒したいだけだ。

そもそも「ほのぼの日常(きらら系ってヤツ)」はともかくして、女同士の恋愛がテーマになる作品なら女性が中心の展開になるのは当たり前だろうがよ

 

この消費に関しては色々な意見があるだろうが、俺の考えとしては、そういう表現が気になるのなら制作者に物申すべきだ。

鯨が可哀想だからって、鯨を食べる人を殴ってもほとんど意味はない。捕鯨をやっている業者や団体に文句を言うべきだろ?

作品の批判で一番やってはいけないことは、その作品の向こうにいるファンを叩くことだ。
たとえ批判にある程度妥当性があったとしても、作品の外側にまで文句を言ってしまえば後は果てしなく無意味な殺し合いが続くだけになる。

それこそ、生産性がないってものさ。

別に見えない敵と取っ組みあってるつもりはない。だがそういう手合いの意見をあえて晒すこともあるまい。それに俺がすべきことはそういう意見とは、違うまた別の視点を用意することだ。

 

閑話休題。そういう感じで百合にまつわる議論は最近になって徐々に増えてきているように感じる。同性婚を認める動きが世界中で見られることも影響しているのだろうか。
さて、ここで考えたいことは、女の子ばかり登場する百合作品は最近になって現れたのか? ってこと。

 

俺の答えは、「違う、昔からそうだった」というものになる。

ゼロ年代の「マリアさまがみてる」も80年代後半のナチュラルウーマンも大正時代の花物語も登場人物の大半が女性だ。


こういう作品が想定している読者は決して男性だけではない。マリみて花物語はいわゆる少女小説に分類される。ゆえに、多少乱暴だがこれらの作品が少女を消費するための作品でないことは納得していただけると思う。

 

そもそも百合に男が出ないという表現は正確さに欠いている。
より正確にいうのなら、恋愛要素に絡む男は出てこないと言うべきだ。

 

たとえばマリみてで登場する男キャラはゲイであったり子供だったり老人だったりと、恋愛に絡みそうもないキャラばかりだったりする(唯一、黄薔薇様は年上のおじさまと交際しているが)

花物語でも男性キャラは老人や子供がほとんどで、若者は大半がヤクザ者かイヤミな奴という徹底ぶりだ。面白いことに、こういう傾向は百年後の現代百合作品にも見られる。

 

百合作品に期待することは女性同士の恋愛や強い絆であって、そこに男女の恋愛要素が入ってくることはノイズになりやすい。

エンタメには恋愛要素が絡みやすいから、男キャラが出てきたら「どうせ誰かといい仲になるのだろう?」と読者に思わせてしまいやすいというのもある。「最後に二人は幸せなキスをして終了」ってヤツだね。


特に男性向けの作品では男キャラが出てくると必然的に視点がその男キャラ中心になってきてしまう。男主人公が複数の女の子に囲まれるようなストーリーの話なら、主人公とヒロインの関係が中心になって、ヒロイン同士の関係性の掘り下げは薄くなる。
そうなっては、百合要素を楽しむのは難しいだろう。

 

もちろん、原作で女キャラが男と交際しようが結婚しようが、それを無視して別の女とくっつけるというストロングスタイルも可能ではある。

かの森永みるく御大は踊る大捜査線の同人誌で「雪乃さんと真下くんの結婚式に、すみれが乱入して雪乃さんを攫ってしまうし、雪乃さんもそれを受け入れる」という力強い展開をカマした。同人誌の鑑だと思う。

 

とはいえ、なんだかんだで二次創作は原作あってのものなのだ。そういう展開になると辛いものはある。

 

百合作品で女キャラばかりというのは、「これは百合作品であって、いきなり男女の恋愛要素が絡むものではない」ということを保証するためのものといえるかもしれない。実際、男キャラを出しても恋愛には関わりませんと断言しているゲームもある。

 

これにくわえてもう一つの見方を提供すると、百合が女ばかりなのは「社会への抵抗」というのがある。

花物語フェミニズム的な読みをすると、「当時弱い立場にあった女性と、子供や老人といった弱い男性が、強い男性に依らない世界を構築する」物語でもある。

家父長制の社会とでもいうべきか。

そういう風潮はだいぶ弱まってきたとはいえ、現代にもまだ生きているものだろう。女性は子を産む機械ではない。

 

「『花物語』の主人公たちは世界に抗する」(河出文庫版『花物語』の解説文より)

少女はたとえ創作物であっても、男と結婚するために、誰かに消費されるために恋愛してるんじゃない。