百合ハーレムファンタジー小説 八日目
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百合ハーレムファンタジー小説-その設定 - 【百合本の感想】百合Edge R&D
Mesmerizer
2-5
寝ずの番を始めた直後には聞こえていた外のざわめきもそろそろ止もうとしていた。街からは明かりが消え、草木も眠り、深い夜の闇が世界を包み込む。フォティは身じろぎ一つせずに、客室の椅子に腰かけて周囲の気配を伺っていた。机の上におかれたランプがか細い光を放って、彼女の顔を照らしている。
今のところ、自分が感知するものはなにもない。いや、なにか動いている。そう、自分のすぐそばで――
「眠くならないの?」
「そっちこそ、起きていたんですか?」
警戒を続けるフォティに語りかけてきたのはタチアナだった。こんな時間だというのに平然としている。ベッドにもぐりこんだかのように見えたのだが、いつの間にか机の向かい側に座って頬杖をついている。
「三日三晩ぶっ続けなんてこともあったからねえ」
「……? どんな作業でも休んだ方が効率がいいってパルが教えてくれましたけど」
「休む必要なんてないのよ、私は。ねえフォティちゃん、退屈なら私とお話しない?」
タチアナは艶然とフォティに微笑みかけた。
何か狙いがあるのかとフォティはその行動を勘ぐるが、すぐに考えるのをやめた。かりに企みがあったとしても、どうせ自分には予想もつかないことだ。それに生体障壁というものがあるらしいから大丈夫だろう。自分達が生きている限りは。
「いいですよ、シンクさんやパルは見張りの間あなたと話すなって言い付けてませんしね」
「命令ねぇ……貴女って随分二人のことを信頼しているのね」
「そりゃそうです、シンクさんもパルも私よりずっと頭が良いんですから。二人の決めたことなら間違いありません、私はそれに従います。考えるの、苦手ですし、自分の考えで動くとしょっちゅうやらかしちゃうんで」
はきはきとしたその返事に、タチアナは嗜虐心を刺激された。すこし意地の悪い質問をぶつけてみようかしら。
「ふうん……なら貴女、どちらかに死ねって命令されたら、死ぬの?」
「私の死が必要だと二人が思っているのなら、私は命だって惜しくありません」
刹那の逡巡もない、断言だった。嘘や建前の類ではない、どこまでもまっすぐな目をしている。
予想を外したタチアナは改めてフォティを見つめなおす。
「意外と危うい子なのね、覚えておくわ」
「よく言われます、前もあなたはいつも危なっかしいってパルに……それより、私も聞きたいことがあるんです」
「ふうん? いいわよ」
タチアナの返答を受けて、フォティは姿勢を正した。正面から彼女を見つめ、フォティは問う。
「どうして、世界中で殺し合いを煽って回ったんですか」
それは彼女にとって、ずっと疑問に思っていたことだった。周囲の人は言う、あの魔女にまともな理由はないと、あれほどの非道な行いを理解しようとするべきではないと。裁判の間も、タチアナは意味深な笑みを浮かべるだけで、自らの凶行を語ろうとはしなかった。あえて、掘り下げようとする法務官もいなかったが。
たしかにタチアナは世界を滅茶苦茶にした。それはいかなる理由があったとしても絶対に許されない。それでも、フォティにはずっと納得しきれない何かがわだかまっていた。
「……もっともらしい理由があれば、赦されるとでも?」
「それはありえないでしょうね。だけど、それは相手の言い分を何も聞かずに罰を下していい理由にはならないと思うんです」
フォティが思い出すのは、かつて自分に教育を施したフェイスが繰り返し語っていた信念だった。
――罪人であっても聖者であって、誰もが自分だけの正義を持っている。たとえその正義が絶対に赦されるものでなかったとしても、それに目を閉じて、耳を塞いで、踏み潰すのは裁かれるべき悪だ。
フォティにとって法律だの算術だの文学だのはさっぱりだったが、その言葉だけは心の奥底に浸透していた。
「この世界の限界を証明するためってところかしらね」
こともなげにタチアナは答える。秘密にされることも予想していたフォティは、あっさりとしたその回答に眉を顰めた。
「限界?」
「あらゆる種族がどれだけ盤石な秩序を築き上げようと、私がほんの少し背中を押したら、全部台無しになった……変わらない筈の日常が焼け落ちていく、信じていた者同士が疑心に囚われ、美しい愛情や友情が憎悪に呑み込まれていく。それが面白かったの。所詮、世界なんて脆く儚いものなのよ」
そう語るタチアナの心中を、フォティは測りかねた。そもそも世界の限界というのもよく分からない。虚無主義だとか、言うんだっけ。後でパルに相談してみようか。
「分かりませんね、ちっとも理解できない……でも、あなたの言葉は覚えておきます。絶対忘れません」
「嘘かどうかは疑わないのね」
「そうだったんですか? 本当のことが言いたくなったらいつでもお願いします」
「さてどうかしら? でも貴女に本当のことを一つ、教えてあげる」
タチアナは身を乗り出して、フォティに顔を近づけた。急な接近に、わずかながらフォティはたじろぐ。油断すると何をされてしまいそうだった。
「自分以外の誰かを信じない方がいいわ。きっと、貴女は裏切られることになるだろうから」
幼い子どもに言い聞かせるように、タチアナは慈愛めいたものさえ漂わせて、彼女に囁く。
「だいじょうぶですよ。みんなが私を信じてくれているように、私はみんなのことを信じてますもの」
フォティは決して揺らがなかった。彼女の返答は力強く、頼もしさを感じさせるものだった。
「そう言い切れる貴女は綺麗よ。愚かしいほどにね……」
フォティは気付いているのだろうか。すでに法務院は仕えている者の信頼に背こうとしていることに。
「ふふ……いい暇つぶしになったわ。フォティちゃんの言う通り、そろそろ寝ておこうかしら」
「む、そうですか。それでは、おやすみなさい」
タチアナは、一方的に立ち上がってベッドに身を横たえた。いつか、あの愚かなまでに純真な娘も決断を迫られるだろう。だれにも頼れないその瞬間が訪れた時、彼女は何を思うのか。
せいぜい、見届けさせてもらおう。来るはずもないまどろみを待ちながら、タチアナは静かに目を閉じていた。